市房漬と
季節の漬物地元の食材でお母さんたちが
真心こめて作ったお漬物せめて女同士
手をつなぎ力を合わせ
助け合える場所を作りたい
ご飯との相性抜群で
球磨の米焼酎にも良く合う!
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日本の六次産業化の母
地元の女性たちを率いた山北幸さん
下村婦人会の成り立ちは、この女性の存在を抜きには語れない。
幸は1913年(大正2年)熊本県球磨郡湯前町で生を受け、昭和8年、
20歳で軍医だった夫と結婚し、戦後は自らも看護婦として夫を支えた。
当時の球磨の人々の暮らしは貧しいもので、知識もお金もないために、
今日を生きるのに精一杯。貧しい農村では女性が病院にかかることは、
余程のことが無い限りなかった。
幸はそのことを憂い、何とか現金収入を女性の手で
生み出せないかと考えたのだ。
女性たちにひとりひとり声をかけ賛同者を集めた。
はじめは米や卵を売り、ほうきやハエ取りを作って
売るなど、自分たちに出来ることから取り組んだ。
そこには、地域を豊かにし、女性の地位向上を
実現したいという山北幸さんの願いがあったのだ。
昭和25年、はじめは5〜6人からのスタートだった。
これがのちの下村婦人会だ。
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安全安心でリーズナブル、
「美味しい」がコンセプト
経験と知識が品質維持につながると考え、
本格的な農産加工品について
計画的に学んだ。
徐々に自信が芽生え、昭和36年、
国からの補助金と、地元負担分は
女性たちの稼ぎで、共同作業場を建てた。
取り組んだのは毎日でも
飽きずに食べてもらえる漬物。
いくつかの野菜で味噌漬けを作り、
下村婦人会の代表作とも言える
「市房漬」が誕生した。
当時としては画期的な商標登録まで行ったのだ。
高品質で保存料など一切使用していない
身体によい、“差別化商品”の
開発に取り組んだ点において、
先見の明があったのは間違いない。
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手塩はかけるが
化学的なものは
一切かけない
世の中に出回る多くの漬物が
味を調え保存を効かせるために
添加物やアミノ酸を使う中で、
下村婦人会では一切使用しない。
今取り扱いのある38種類もの
加工品の全てがそうだ。
そして、世の中の変化を意識して柔軟に、
食べる人のことを常に考えている。例えば、
「時代とともに肉体労働が減ったから、
健康を意識して塩分濃度を下げる」
といった事や、
「砂糖への意識が高まっているので
精製していないものに切り替えようと
よいものを探している」
といった具合に。当たり前のようだが、
なかなかできるものではない。
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地元の材料 お母さんたちの手間暇=お漬物 なのです
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戦後まもない貧窮を立て直すため、農村の女性たちが力を合わせ自立を目指し誕生した下村婦人会。女性たちの心には、今は亡き山北幸さんがいて、手間暇かけたお母さんの味もしっかりと受け継がれている。婦人会の成り立ちが昭和25年生まれということは人間で言うなら還暦をすでに迎えたことになる。
それほど長く続いてきたのは、多くの支持者がいる証と言える。人口減少と厳しい高齢化で、沢山生産することは難しくなったが、元気なお母さんたちの真面目で、真心こもった仕事は今も健在。お米との相性は抜群だ。もちろん球磨で作られる米焼酎にも良く合う。どうかこれからも元気で高齢化の波に負けず頑張ってほしい。
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