アランデュカス
アランデュカスが、自らの料理に合う日本酒をとの思いから、金沢の老舗蔵・中村酒造と組んで醸した至上の一本。米の熟した甘味、すっきりとした酸味、後味の長く厚い余韻が印象的。
フレンチの有名シェフにして、大の日本通でもあるアラン・デュカス。土地に根ざした食文化を何より尊ぶ彼が、日本酒を造ったと聞いた。偶然、来日していたシェフをつかまえ、グラスを傾けながら話を聞いた。
全世界のレストランのワインを一手に任せているソムリエ、エジェラール・マルジョンはこう語っている。
「酒を知的に考察すると、つまりその質と土地(テロワール)を尊べば、どんな酒もその独自性を表している。その背後には個々の性格が、その歴史、その味と夢とともに隠れている。それはユートピアへの道であり、いつの日かそこを横切ることが期待される道である」
もちろん、酒=ワインである。
しかし、この言葉は、その土地ならではの食材を徹底的に生かし切るというアラン・デュカスの哲学を見事に表現している。ソムリエとしてシェフの皿に長く寄り添い、その精髄(エスプリ)を理解しているからこその卓見である。
2004年、銀座「ベージュアラン・デュカス東京」を皮切りに、南青山「ブノワ」、大阪「ル・コントワール・ド・ブノワ」をオープン。日本の気候風土を愛するというアラン・デュカスが、フレンチの皿と合わせる日本のワイン=日本酒を造ったと聞いて食指が動いた。
「日本酒は日本という風土、料理に合わせてこそ意味があるというのが持論でした。しかし、パリやロンドン、ニューヨークの高級店では、日本酒を求める客がいます。日本を訪れる度に、私のワインリストに外国人の嗜好に合う日本酒があってもいいじゃないかと思うようになったのです」
とアラン・デュカス。
物語は、金沢で創業200年を誇る酒蔵「中村酒造」九代当主・中村太郎さんとの出会いから始まった。
「デュカスからフランス人の口に合う日本酒を造りたいと言われました。しかし、彼らの理想とするのは、ワインで言えば上等な白のブルゴーニュ。私どもの純米酒、純米大吟醸などを試してもらいましたが、納得する酒はなかった。結局、それらをブレンドしながら試飲を繰り返し、国境を超えた共通の味の頂を探っていくことから酒造りが始まりました」
と中村さんは振り返る。
原材料には、ストーリーが必要だというのもアラン・デュカスの考え。主原料となる米は能登半島の棚田で減農薬栽培されている希少ブランドで、一度は断絶していた品種を復活させた飯米の神子原米を使用。これに、高い酸の出やすい自家培養した独自酵母と、手取川扇状地にこんこんとわく白山の伏流水を使った。すべての材料を県産にした、まさに地酒である。構想から丸2年。かのソムリエ、エジェラール・マルジョンが、来日の際に必ず酒蔵に足を運び、杜氏らと味わいや香りなどの吟味を重ね「日榮・アラン・デュカスセレクション」は誕生した。
デュカスの酒は、意外に甘く、実に伸びやかであった
さて、フランス人が造ったフレンチに合う日本酒とは一体どんなものか。東京・四谷の居酒屋「萬屋おかげさん」店主、神崎康敏さんとともに「ベージュアラン・デュカス東京」を訪ね、テイスティングをさせてもらうことにした。早速、ワイングラスに注がれたわずかに琥珀色の日仏合作を口に含むと、神崎さんが思わず膝を打った。
「これですよ、この深い甘味と酸味。そして喉元過ぎたあたりからわいてくる米の熟味。うわあ、味が伸びるなあ。この伸びは、なかなか普通の日本酒にはないですよ。これならフレンチのソースにも合います。洋食に日本酒を合わせるのは神経を使いますが、今、自分の中でブレていた焦点がピタッと合いました」
確かに、口に含んだときに感じる深い甘味と切れる酸の後味、そして戻り香の厚く長い余韻が印象深い。
「ボディがしっかりしていて豊か。何より深みがある。食前酒として飲めば、一口では理解できない複雑な味が、今からどんなものを食べようかと脳と胃袋を思考させるのです。食中酒としては料理に勝るリーダーシップをとってしまう可能性もある。ですから、料理の選択には注意を払わなくてはなりません」
とアラン・デュカスは自らの酒を説明する。
一皿の料理と一杯の日本酒。これだけで、なんと楽しく豊かな時間が流れるのか。フレンチの巨匠を前にやや緊張気味の神崎さん。フランス人が造った、フランス人のための日本酒に納得。
中村酒造は、江戸後期の文政年間に金沢にて創業。九代目の中村太郎さんは、日本の酒造では数少ない有機製造所認定を取得。レギュラー酒の日榮をすべて山廃に切り替え、純米酒ブランド加賀雪梅を立ち上げるなど積極的だ。
取材当日、デュカスが酒に合わせた料理はオマール海老、毛蟹、アワビなどが入った贅沢なスープ・ド・ポワソンだった。選択を間違うと酒と料理が互いに個性を潰し合う。「料理が日本酒を支える」がデュカスの見識。面白いことにワインの場合は反対だという。帰り際、神崎さんがデュカスとの出会いの最大の収穫は「時間の再認識」だと教えてくれた。
「食べ進むうちに、冷えていた酒は徐々に常温に戻り、皿の上のスープは温度を失っていく。一皿の料理と酒を交互に楽しむ間に、温度帯が変化して、何回も食べ合わせの妙を体験できる。これがフレンチらしいですよ。日本の酒飲みは、早飲みばっかりですから」
と笑う。
グラス内の酒は、温度にして3、4℃の変化だろうか。だが、一皿の料理にそれだけの時間を費やし、肩の力を抜いて食事を楽しんでこそ、人間は幸福になれるのである。この余裕こそワインとともに生きてきたフランス人の愉悦ではないだろうか。
(文・中原一歩 撮影・飯貝拓司)
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