dancyu
リボーンプロジェクト
一世を風靡した品種の魅力を再発見し、後世に残そう
通常より4ヶ月も
長く熟した
濱崎智久さんの超熟甘夏
甘夏の歴史は
意外なところから始まる
甘夏を語る上で頭に入れておかねばならないのが、みかんの歴史だ。日本人が好きな果物の代名詞ともいえるみかんは、紀元前より中国全土に広がっていた「橘(たちばな)」に由来する。魏志倭人伝や古事記にも「橘」の記述はあり、天皇や豪族などへ献上されるほど珍重されたありがたい果物だった。
みかんは栽培技術の進歩と共に、日本各地に広がっていく。あの有名な紀伊国屋文左衛門の「みかん船伝説」からも、当時のみかんの人気がうかがえる。
そんな中、甘夏は山口県長門市の西本於長という女性が、漂流してきた果実を細々と育て生まれたのが起源といわれている。みかん船伝説より後の1700年頃の事だ。この偶然の漂流した果実は、みかん好きの日本人に好まれ、夏に食べられるみかん「夏みかん」として広がっていく。
酸っぱいからこそ広がった
甘夏の前身「夏みかん」
甘夏の前身である夏みかんはとても酸っぱかった。甘夏は収穫してすぐでも食べられるが、夏みかんはそうはいかない。(余談だがしらぬひ[デコポン]も同じで、収穫したては酸が強く食べられない)そのため、酸味を抜くために貯蔵される。長い時間貯蔵されても傷まない硬い皮であったのも幸いして、1〜2月に収穫される夏みかんは6月頃まで美味しく食べられる。本家の温州みかんは長くても1〜2月までしかもたないので、その後に食べられるみかんとして、半ばみかんの代役的に広がって行った。
その後、昭和初期になると、夏みかんの枝の1つから甘い果実が偶然に発見される。それが甘夏だ。甘夏はその名のとおり甘くお消費者の人気のいしく、一気に夏みかんから改植され広がって行った。
昭和後半の甘夏は、
みかんと並ぶほど人気
甘夏の大産地熊本では、昭和後半の最盛期には年間10万トン弱が生産されていた。10万トンというのは、現在の熊本のみかんの生産数よりも、柑橘全品種の生産量よりも多い。熊本の産業としても消費者の人気の上でも圧倒的だった。
しかし時代は変わり、「種無し、皮ごと」の柑橘に人気が移っていく。熊本県内においても柑橘の代名詞はデコポンへと変わり、10万トン近かった甘夏の生産量は7000トンまで減っていく。確かにデコポンは旨い。しかし、だからといって甘夏の魅力が落ちたわけではない。ぷりぷりとした食感の果肉、爽やかな甘さ。改めて食べると流行の柑橘にはない味でうまい。
取材した日はとても寒かったが、これが初夏の陽気だったらよりいっそう旨かっただろう。
親子三代60年甘夏農家
濱崎智久さんの超熟甘夏
1〜2月に収穫される甘夏を
そのはるか先、6月まで樹上におく
みんなに剥いて
食べさせてあげてください。
- HOTワード
- #「瓢亭」「蜀郷香」「懐石小室」など、名店の味をお届けします #とっておきのスイーツ #東白庵かりべ かけ・せいろ #オイスターバー #江戸前ちば海苔 #瀬田の唐橋 炭火割烹 蔓ききょう #表参道ナプレのピッツァ