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この道30年
アララガマ農園池村英勝が育てる
完熟の
パインアップル
パイナップルの歴史と
沖縄を取り巻く環境
日本に初めてパインアップルがやってきたのは1930年(昭和5年)。
1935年にはパイン生産の新たな活路を求め台湾から林発氏らが石垣島に入植しました。大同拓殖株式会社を設立、60戸、330人を呼び寄せ、幾多の困難を乗り越えパイン生産に成功。1938年に初めて缶詰を本土に出荷しました。
その後、まもなく戦争に突入しますが、戦時体制下でパイン栽培は禁止となり、工場も日本軍の兵舎にとられ、敗戦で廃業しました。
林達は、パイン産業を再興するため秘かに保存していたパイン種苗の普及を図り、家内加工による缶詰生産を再開します。時の琉球政府のパイン奨励、日本政府の輸入関税免除で、栽培は飛躍的に拡大し、換金作物として、沖縄本島や宮古からの入植者たちの生活を支え、やがてさとうきびと並ぶ2大基幹作物に成長し、日本復帰前の沖縄経済を担いました。
しかし、1970年代に入り、
オイルショック、冷凍パイン輸入自由化
経済不況、最盛期1969年(年間10万t)の6割程度までに落ち込みます。
その後も缶詰の輸入自由化などのあおりを受け、
パインアップルをとりまく経済は衰退の一途をたどります。
そんな中、1999年(平成11年)に
沖縄県生まれの品種が登場します。
それがピーチパイン(ミルクパイン)です。
アララガマ農園について
おじい様は1935年に台湾から石垣島へパイン入植が始まった際に、
西表島の気候にも合うのではないかと宮古から移り住んだ開拓移民の一人です。
その開拓精神を引き継ぎ、池村英勝さんが親戚からもらった土地で
農園を始めました。農園の名前はアララガマと名付けました。
アララガマとは宮古の方言で「不屈の精神」を意味します。
パインアップルを取り巻く環境の厳しさ、
沖縄が抱える収入問題や永続的な産業の資産化など、
抱える課題は山積みです。池村さんは、
この島の環境と収入源となる畑を次世代に残したいと考えています。
池村さんは沖縄で一番初めにピーチパインを一般流通に乗せた人でもあります。
それまで主流だったハワイ種は1玉が4kgもあったので、300gから大きくても1kg程度の小ぶりなピーチパインは生産性が悪いと、はじめは誰も見向きもしませんでした。ですが糖度と酸度のバランスのよいこのピーチパインの美味しさを信じ、池村さんは生産を続けました。今では他の生産者もその価値を認め、広く育てるようになりました。
完熟でお届けする
最高のパインアップル
アララガマ農園では、堆肥や海藻、サンゴのミネラル等を肥料に
薬草を用いて害虫と上手く付き合ったり、
化学肥料や農薬の使用を極力控え、
西表の大自然を活かした循環型農業を目指しています。
パインアップルは収穫したら、追熟はしますが、
糖度はそこからは上がりません。
池村さんは完熟で収穫し、その日のうちに出荷します。
ピーチパインは平均糖度18度、ゴールドバレルは20度もあります(一般的には16度とされる)。
最高の状態に仕上がった完熟パインアップルを是非ご賞味ください。
ピーチパイン:4月中旬〜6月末まで
ゴールドバレル:5月初旬〜6月末まで
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